“モダン建築に動物が呼び込むバロック性” [樋口ヒロユキ] 3/3

 さて、それでは、ペットと暮らす習慣のない施主が、彼に自邸の設計を依頼した場合、どうなるだろうか。
 実は廣瀬の建築には、しばしば子供しか腰掛けられないスペースが設けられている。 階段や吹き抜けの手すりの下に、わざと「腰壁」を造らずに隙間を空け、子どもが座れるようにしてあるのである。 また、廣瀬は子どものいる家を設計する場合、わざと低い位置に窓を開ける。 大人にとっては階段に過ぎない場所をソファーにして座り、 大人が覗き込めない位置にある窓から外を眺めて、子どもたちは成長する。 それは建築に埋め込まれた、子どものための「遊びの種子」なのである。
 また廣瀬の建築は、子どもの視線や動物の視線など、さまざまな角度から眺められることを前提として設計されている。 廣瀬の手がける建築には、視線の高さで表情を変える、視覚的な仕掛けがある。 動物の目の高さ、子どもの目の高さ、そして大人の目の高さと、さまざまな角度から彼は検討を加え、 デザインを完成させていくのである。
 動物はこの仕掛けによって遊び、ストレスを和らげ、落ち着きを取り戻す。  
 また、子どもたちはその成長の過程で、室内に仕掛けられた「遊びの種子」を発見し、 それと戯れ、さらには成長するとともに、異なる眺めと出会う。仮に子どももペットもいない、成人だけの家庭が施主であっても、こうした遊戯性は変わらない。 立ったときと座ったときで、まるで異なる表情を見せる廣瀬建築は、豊かな視角的遊戯性を孕んでいる。 こうした多層的な遊戯性こそ、彼の建築の根幹をなす主題なのである。
 廣瀬慶二の建築は、基本的にはモダニズムの枠内で発想されており、 いっけん奇妙に見える構造も、動物の問題行動を防ぐ目的から、合理的に求められたものだ。 だが同時に彼の建築は、必ずどこかに「遊び」を孕む。動物や子ども、そして遊び心を持った大人のために、 彼の建築は設計されているのだ。
 合理性を求める志向とともに、不合理な遊びへの欲求が、常にどこかに存在している、それが人間の生活である。 こうした合理性と遊びへの欲求に同時に応える、モダンでバロック的な建築のかたち。それが廣瀬慶二の建築である。 [樋口ヒロユキ]
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